キハの力行回路とドア回路、車掌スイッチと切換スイッチ
こんにちは😃хироです!
キハの運転台も大詰めです!
箇体は仕上がりましたので配線作業に入っています。
さて、ここで気付いたのは『キハ58は落成時には速度検知器がなかった』という事です。
晩年JR化後に付いたかは資料も乗務経験者も周りに居ないので不明ですが、あのゴテゴテ具合を見るに後付けされたのではないかと推測されます。
この図はキハ58のつなぎ図の一部です。
ご覧ください!
母線(1a線)から分岐してそのまま車掌スイッチ(450-1又は450-2のスイッチ)に流れていき、コイル(電磁弁)を作用させて終わっています。
因みにその脇で並列に接続されているランプはステップ灯です。
このように、キハ58は切換スイッチの位置に関係なく車掌スイッチが操作できたので、編成の中間や前頭運転台からドアを操作することも可能だったわけです。
キハ40になると、スイッチでの間接操作になったり、速度検出がなされて3km/h以下でないとドア操作する回路が構成されなくなります。
下の画像はキハ40の車掌スイッチです。
切換スイッチは計器灯の電源を構成していましたので、どこかの切換スイッチが後位置でないと計器灯が点灯しないようでした。
ところで、同年代の電車にはドアが完全に閉まっていないと力行回路が構成されないような仕組みが備わっていますが、キハにはないようです。
回路図だけ読むと、キハ58や40はドアの状態に関係なく力行が可能になっていました。
恐らく時代的にドア操作という概念のない旧型客車と同じ感覚で考えていたものと思われます。
旧型客車は乗客自らドアを開けて乗降し、発車時刻になると車掌が合図をして機関士が機関車を発車させます。
列車が動き始めても乗降する事が可能ですし、実際に日常的に行われていたようです。
まぁ速度も低くて加速も鈍かったですからね(^^;
今とは感覚も違ったと思われます。
発車すると車掌は車内巡視をして、側戸を閉めて歩きます。
そして、また駅に着くと乗客自らドアを開けて乗降していました。
そういう時代背景を考えると、突然今風なシステムになるより、車掌がドアを閉めて歩く手間を省く程度の考えであれば、走行装置と連動していなくても違和感はないですね。
因みに、急行型気動車はドアの開閉は自動ですが、開状態でドアは手でも開け閉め出来たそうです。
ステップ灯の点灯でドアが開放されているのか確認出来たそうです。
仮に私の見落としでなく本当に安全装置がないのなら、気動車はブザー合図が徹底されていたのも頷ける気がします。
つまり、キハ58のつなぎ図通りなら、ドアは車掌スイッチを操作すれば無条件に開閉して、力行もドアの状態には影響を受けず、切換スイッチが前で計器灯スイッチが連動側で、後部車両の切換スイッチが後位置の状態でドアが閉まっていれば計器灯が点灯するという事です。
という事は、切換スイッチが前位置で計器灯スイッチが非連動側であれば運転士は目視以外にドアの状態を知れないと言うことになります。
そんな事があり得るのでしょうか?令和時代の鉄道員の感覚からすると理解出来ませんが…(^^;)
このキハ58のモデルになっている平成初期頃はどうなっていたのかもう少し調べてみようと思います。
それでは^ ^
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